1 [旅の計画]


今日は9月2日だ。7週間のインド滞在を終え、キングフィッシャーのフライトで、インダス川の渓谷の町レー(Leh)から、ザンスカール山塊(Zanskar Mountain Range)と大ヒマラヤ山脈(The Great Himalayan Mountain)を一気に飛び越え、デリー(Delhi)に向かう。インダス渓谷を西に向かう機内からは、居室の窓から毎日見上げていたスパンティン山(Spangting La)の氷河も、午前の柔らかい光で穏やかに輝いて見えた。リキル・ゴンパ(Likir Gompa)の仏様の金色の体が陽光にキラリと反射し、そのすぐ下のレストランで皆で何度か食事をしたことを思い出した。いつかここに戻ってくることがあるだろうかと思うと、いよいよラダック(Ladakh)を去るということが実感された。

飛行機は大きく左旋回し、銀鼠色に光るインダス川の谷を離れ、ザンスカール山塊の鋸の歯状の稜線上空に達すると、南方一面にモンスーンの雲海が広がっているのが見えた。その下のヒマラヤ山脈もその向こうのパンジャブ(Punjab)の大平原も雲海に埋もれ、どこに何があるのか、何の手がかりも見えなかった。


今、デリー空港でニューアーク行きのフライトを待ちながら、今回のラダックへの旅がどういう旅だったのかを考えている。期待と感激、不満と落胆とが混じり合った体験について、どうしてもそれをラダックに興味がある人たち、文化や自然な農業の持続に興味がある人たちに伝えたいという思いが強く湧き出てくるのを感じる。と同時に、ではその体験の中で見えてきた問題点などに対して、現実的にどう対応すればいいのかという疑問も湧いてくる。そういう錯綜する思いを文章にしてみる事で整理し直し、更にそれを伝えたい友人たちに見てもらおうと思って、これをまとめてみた。

ラダックは、北をカラコルム山脈、南を大ヒマラヤ山脈に挟まれた大山岳地帯の中、東はチベット、西はカシミール、ギルギットに囲まれたインダス川の渓谷とその支流の谷間を中心にした標高3000メートル以上の高地にある。住民はギルギットからチベットに至る広い山岳地帯に古くから住むダルド族やチベット族の末裔で、言語はチベット語族に属する言葉を話す。文化的には、東のチベットの仏教文化と西のカシミールのイスラム文化の境界にあり、双方からの影響を多大に受けてる。特に仏教は、チベットでの仏教が閉塞状態を迎える中、チベット仏教の西の中心として、古くからの僧院や地域に根づいた宗教文化が、近年注目されている。その東部の中心地レーは、西北インドでのヒマラヤ観光の中心である。近年、ラダックに興味を持ち、ヒマラヤトレッキング以外でも、サイクリング、ラフティング、祝祭巡りやゴンパ巡りなど様々な楽しみ方を求めて、そこを訪れる日本人が増えていることを聞いた。レーには日本人のガイドもいるらしい。さらに、美しく厳しいヒマラヤの自然の中で、自然農業を中心とする伝統文化をいまだに保持し続ける人びとの住むラダックというイメージは、エコツーリズムにとって恰好の地だ。これからの話を分かりやすくするため、ラダックの背景を簡単に説明しようと思う。以下の地図を参照して欲しい。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Jammu_%26_Kashmir 

ラダックは、長い間、中央アジア・チベットとインドを結ぶカラコルムの東を抜ける重要な街道に位置し、チャンタン特産のパシュミナ・ウールやチベット・ルプシュの塩といった基幹商品を取り扱う拠点として、また文化的には、チベット特有の仏教文化を支える、西チベットの有力な地域だった(Rizvi 1996, 1999, Pirie 2009)。インド・パキスタンの英国からの独立の際、偶然にもインド領となったが、中国のアクサイ・チンとチベットの占領により1950年以降、特に1962年以降は、東と北からの交易交流が不可能になった。更に、カシミールという重要な文化・産業・農業の中心地をめぐるインド・パキスタンの数度にわたる軍事紛争をへて、カシミール、ギルギットなど西側の地方との交流が不安定になり、東西交易の中継地点としてのラダックは、その生命を絶たれることになった。1974年に国際的に扉が再開されたあと、ラダックは、インドにとっての軍事的な重要性とヒマラヤ観光以外、特別の意味を持たない一辺境の谷間になってしまっている。

私のラダックへの旅の発端は農業である。農業生産とその生産物の分配に興味を持っている私は、生産現場での経験と知見を広げるため、農業ボランティアを計画した。まず、2011年の5月に福島県会津のチャルジョウ農場で有機農業のボランティアを4週間、次に、同じような高所寒冷地域で自然農業を実践している、北インド・ジャンム・カシミール州(Jammu & Kashmir)のラダック(Ladakh)の農村での約一ヶ月の滞在である。5月に4週間滞在した会津山都町では、有機農業と会津の農村の再生に働く多くの若い友人を作ることが出来た。東日本大震災とそれに続く原子力発電所事故が原因の放射能汚染が進行する中、その汚染の中での有機農業生産とは何かを真剣に考え、行動していくこの友人たちには、深く感動させられた。同時に、土や野菜と直に対話をするような経験は、手や足といった私の体が何を好むのかを、鋭く私に自覚させてくれた。

さて、北インド・ラダックでの農業ボランティアは、ISEC (International Society for Ecology and Culture)というロンドンに本拠を置くNPO団体が主催する「Learning from Ladakh (ラダックから学ぼう)」というプログラムに参加することにした。というのも、ISECの代表のヘレナ・ノーバーグ・ホッジさん(Helena Norburg Hodge)の著書や映画で、ラダックを西チベットの伝統文化や自然農業を持続可能な形で現在も保持している農村社会と紹介されていたからだ。また、密教に興味がある私は、1970年代の終りに、ラダックに残っているチベット仏教とマンダラ類の調査に訪れた毎日新聞と高野山大学の合同調査隊の踏査記録を十数年前に読んでいて、是非ラダックに行って、その現実を見てみたいと思っていたこともある。

もう一つの大きな要素は息子の参加である。17歳の息子がその計画に興味を示し、私と2人で約1ヶ月の農業ボランティアを8月にするという計画の原型が出来上がった。彼は、高校の必須社会活動科目であるコミュニティ・ボランティア活動を、ラダックでの農業ボランティア活動で充当しようと考えていた。私と彼とは、ここ数年夏毎に、10日から2週間の自動車旅行を一緒にすることが恒例になっていた。このラダックへの旅はその延長線上に考えたのである。 

ただ、この旅に関して、特に考えておかねばならない点が二つあった。一つは言葉と文化の問題で、もうひとつは農作業の問題である。ラダックの文化に関しては幾つかの出版物が手に入ったが、ラダック語の言語習得用の教材が見つからない。我々が手に入れた教材はISECが作った10ページほどの誤植が随所にあるフレーズブックだけで、とてもではないが、それだけで、農作業を含む日常の会話が可能になるとは思えなかった。ラダック語はチベット語の近親語で、チベット語とは色々相違点があるということで、チベット語の教材は簡単に手に入った。結局、基本単語と簡単なフレーズ以外のラダック語習得は、現地で何とかしようと2人で話しあった。

次は農作業の問題である。5月の会津での体験は、庭仕事や裏庭に続く森での倒木処理等しか経験がなかった私を、何でもやってやろうじゃあないのという楽観主義者に変えてしまった。しかし、我が息子は、何時間も続く単調な作業や腰を折ったままの長時間農作業が出来るかどうか、本人にも見当がつかないようである。そういう作業が好きなのかどうかさえはっきり解らず、全く白紙の状態で望むしかない。私の会津での感動や発見の話を2人でかなりした。それと同じような体験を、息子も経験出来ることを期待して出発することにした。そして旅は始まった。

さて、この報告は次の三つの章から構成される。最初の章では、ヒマラヤの南山麓ヒマチャル・プラディシュ州(Himachal Pradesh)の町マナリ(Manali)からジャンム・カシミール州(Jammu & Kashmir)ラダック(Ladakh)地方の中心地であるレー(Leh)の町までの3日間のバス旅行について、第二章は、Learning from Ladakh(ラダックから学ぼう)というプログラムでの4週間のラダック・リキル(Likir)村農業体験記、最後の章では、その4週間の滞在の中で私達が直面したラダックの現実とその問題点の考察をする。

今回ラダックでの経験を記述するにあたって、私が思い描いていた文体は、旅行記と民俗誌と社会分析を、統一性のとれた視線と語り口で正確に且つ韻律的に考慮して記述することであった。それが、どういう形を取ったかは、読んででいただくとして、どうしても記述が単調になってしまったことは自覚している。どうぞ、ご容赦を。

大麦収穫期のリキル村とザンスカール山塊

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Dianne

Hmm itt seems like your wesite ate myy frst commeent (it was extremely long) so I gyess I'll jusdt ssum itt up what I submkitted
and say, I'm thofoughly enjjoying your blog. I as well amm an aspiring blog bllogger butt I'm still neww too thhe wwhole thing.

Do you hazve any ponts for first-time blogg writers?
I'd realloy appeeciate it.
by Dianne (2023-09-15 23:32) 

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