追記3 ザンスカール仏教徒改宗じけんについて

926日付のKashimir-readerOnline版(http://www.kashmirreader.com/09252012-ND-tension-grips-zanskar-after-26-embrace-islam-4674.aspx )は、ザンスカールのパドゥムで5家族が、またザンラで1家族が仏教徒からイスラム教徒に改宗し、それを公表した処、住民の多数派である仏教徒側から抗議がなされ、改宗した26人に危害が加えられる恐れがあるとして、少数派のイスラム教徒側がカーギルの警察に訴えでて、緊張関係の拡大を恐れた警察がパドゥムに外出禁止令を出したと報道しました。更に、29日付のGreater Kashmir紙(http://www.greaterkashmir.com/news/2012/Sep/29/the-evil-of-caste-system-24.asp )は、ラダックの一般仏教徒はモン(楽師)、ガラ(鍛冶)、ベダ(楽師、鍛冶)の3つの特定カースト仏教徒集団を現在でも差別していると指摘し、今回の改宗者はそうした被差別カーストの人たちだと報道しました。

これらの報道は、カーギル・スリナガルのイスラムジャーナリズムのもので、仏教徒側の反論は929日付のReachLadakh紙(http://news.reachladakh.com/news-details.php?&108693961411532870111273317643&page=1&pID=1202&rID=0&cPath=4 )が、カーギルの仏教徒学生団体が抗議集会を開催し、それらの報道を悪意を持った根も葉もない仏教徒に対する侮辱であると抗議したことを報じています。また、104ReachLadakh紙(http://news.reachladakh.com/news-details.php?&1964552457172252351810759737&page=2&pID=1214&rID=0&cPath=4 )で、ラダック仏教徒協会の青年部代表が、カースト制は仏教の一部ではなく、その社会が持っている問題であり、それと改宗とが結び付けられるのは、その改宗が彼らの自由意志ではない事を示していると反論したこと、更にカーストに属する住民からザンスカール仏教徒協会に、1)社会的な尊厳(ドゥラル-集落の公的行事での席順の考慮)、2)彼らの調理した料理を共有すること、3)彼らが弓技に参加できること、4)カップや皿など食器の区別をなくすことの4つの提案を行ったことなどを報道しています。

10月に入って、事態は更に緊張の度を増し、双方が互いを非難し合い、デモンストレーションなどでは、負傷者も出ているようです。私が繋がっている部分のFacebookでは、仏教徒の間で、改宗容認派と反イスラム派が真剣な議論を交わしていました。

1026日には、ラダック仏教徒協会、ラダック僧院協会とザンスカール組織の代表がレーで共同記者会見を行い、イスラム教徒の組織であるカシミール解放戦線とフリヤットに対し、今回のザンスカールでの事件に関し、不正確且つ誇張した情報を故意に流していると非難し、更に、それらのイスラム組織のザンスカール事件への介入は、平和を乱し、混乱を巻き起こすことを狙った計画的な陰謀であると主張しました。

経緯とお互いの主張とそのエスカレーションは、1989年の暴動を思い起こさせるもので、これ以上の対立の拡大を、私は本当に恐れます。


 

ここで、このカースト集団についての資料を見てみましょう。これは、1996年にMartijn van Beekの博士論文 “Beyond Identity Fetishism: "Communal" Conflict in Ladakh and the Limits of Autonomyで報告され、山田孝子先生の「ラダック ―西チベットにおける病いと治療の民俗誌」で参照されている1989年の数字です。

 

ボト(一般ラダッキ)

べダ(楽師、鍛冶)

ガラ(鍛冶)

モン(楽師)

カーギル支区

13427

1

311

18

レー支区

61727

317

516

668

何故こういう数字があるかというと、198910月に、インドの憲法(Constitution (Jammu and Kashmir) Scheduled Tribes Order)で、ラダックの指定部族を8グループ指定し、その内の4グループの統計資料をこの表で示したものなのです。残り4グループは、バルティ、ダルド、チャンパ、プーリクパという地域的に限定される少数グループです。

もう一つ興味深い統計資料があります。出典は同じです。これはジャンム・カシミール州全体の数字ですので、ラダックだけを扱う上の表より、母集団が大きくなっています。

 

ボト(一般ラダッキ)

べダ(楽師、鍛冶)

ガラ(鍛冶)

モン(楽師)

仏教徒

76493

319

827

873

イスラム教徒

11265

0

0

0

ここで注意したいのは、ボトの中で、イスラム教徒が12.8%いることと、カースト集団では全員が仏教徒であることです。前述の新聞報道を考慮すると、20年以上経った現在、イスラム教徒の比率はどのグループでも拡大しているものと考えられます。

ここで、山田孝子先生の著作の中の、一つ興味深い話を思い出しました。それは、ラダックのシャーマン、ラバ・ラモの話です。シャーマンは村の日常生活の中での穢れや霊に関わる個人的な事柄を扱う専門家です。仏教の僧侶や行者、アムチなどと協力関係を持ちながら、自分たちの職掌を確保しています。穢れを祓うことで解決できない場合は、僧侶に患者を任せます。薬草などの必要があれば、アムチにそれを任せます。シャーマンになるには、高名な僧侶の支持・承認が必要です。ラバ・ラモの権威はそこから発生します。しかし、近年、シャーマンは高名になると、他村の患者や、仏教徒以外の患者、例えば、イスラム教徒やヒンドゥー教徒、更には外国人の患者も扱うようになって来たというのです。

そこで、カースト集団のことを考えなおすと、彼らの仏教徒集団への依存の度合いに変化が現れているのではないだろうかということです。例えば、楽師として、伝統的な村の集団儀礼にだけ参加しているのではなく、観光が、仏教という枠を超えて、彼らに活動の場を与えているのは確かでしょう。それは、シャーマンがイスラム教徒やヒンドゥー教徒も診るのと同じことといえます。それらが示しているのは、単にイスラム教徒やヒンドゥー教徒がラダックで増加していることより、ラダックの仏教を支えてきた社会が急激に変質しつつあるということでしょう。それは、仏教を強力な社会的な価値・規範としていた社会が、多様な規範が存在する社会へと変わりつつあるということなのです。そこで改宗やカースト制について考えると、この変化こそが仏教徒にとって、自身の信仰心を試す試金石になるのではないだろうかと思いました。


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