3 - 2 [リキル村での生活 - チャンダグ家の一日]

起床と洗面 

起床は朝六時。南に聳えるザンスカール山塊の山頂部分が朝日で赤く染まり始めると起床だ。アバレが起きだして、ポリタンクを二つ下げて、飲料水を汲みに行く。その足音を聞くと、私は起きだして、中庭の水場に洗面に行く。流水がある日はそれで顔を洗い歯を磨く。ない日はドラム缶から、缶詰の空き缶の水桶で水を汲み出して、それで洗面する。アバレの洗面を見ていると、空き缶に満たした水をまず片手に受け、次にそれで両手を満遍なく濡らし、石鹸を泡立てて、顔と手を洗う。もう一杯手に受けて、石鹸を流す。次の一杯で口を漱ぎ、歯を磨いたあと、もう一度漱ぐ。最後に残った水で頭をゴシゴシ洗う。一缶の水だけで、歯磨きから洗面までをこなす。水の使用量をいつも気にかけている事がわかる。

朝の勤行

洗面が終わると、私は香炉の火床を作るために牛糞を拾いに行く。建物の外に牛糞を集めてある所があり、そこで乾燥して固くなった糞の中から、繊維質が多いものを砕いて、小石ほどの大きさにし、それを五~六個集めて、香炉に並べ、灯油を少量かけてから点火する。そのまま十分ほど燃やすと良い火床ができる。水汲みから戻ったアバレが汲んできた水を閼伽行の水差し(薬缶だが)に移し、それをもって三階の仏間に行く。私も助手の小僧のようにお伴する。朝のお勤めだ。

まず御灯明をチェックする。煙突がついたブリキ製の灯明箱には、六個の灯明皿が入っている。毎日、朝と夕に一つずつ灯する。六個とも使ってしまった日は、三日分の御灯明を準備する。まず、灯芯を六本作る。木綿糸の束から、一本の糸を抜き出し、一束の長さで六本切り出す。一本ずつ二つ折りにして撚り上げる。これを灯明皿の中央にある穴にマッチの軸でねじり込む。そして、灯油を皿に満たし、灯芯も灯油で濡らす。これを灯明箱に並べると準備完了。

さて、仏間の正面の壁には、様々な仏様や菩薩達のタンカが掛けられ、ダライ・ラマやリンポチェの写真が貼ってある。その前にカタスで包まれた仏様の像が安置されている。どの仏様かは布で包まれているため、明らかではない。その前に座机(chogtse)があり、二十四個の銀と銅の水皿と供物の五穀の皿が乗っている。お賽銭もそのあたりにおいてある。ゲストの顔ぶれを反映してヨーロッパの国々の紙幣が目につく。

座机の前に座ったアバレは、真言を唱えながら、二十四個の水皿を、1枚ずつ布巾で丁寧に拭ったあと、座机の上に三列に並べる。そして、各々の皿に水差しから水を手向ける。それから、五穀を掌に受けて印を結んで、五穀豊穣のマントラを唱える。それが終わると、部屋の角にある灯明箱の御燈明に火を灯し、準備した香炉にお香をくべ、私がその香炉をもって仏間から三階の各部屋を回る。お香の煙と匂いがあたりに立ち込める。香炉は火が点いたままで建物の外に置く。このあと、五体投地礼で礼拝をする。私はその間般若心経を唱え、アバレも真言かお経を唱えてる。これで約二十分から三十分かかる。

早朝食と早朝作業

仏間を出て居間に行くと、アマレがお茶の準備をしていて、朝のお茶になる。我が息子もこのころまでには洗面を済ませて、朝のお茶を皆で頂く。朝のお茶は多くの場合ミルクティーだ。それと一緒にパンをいただく。パンはイーストが入った柔らかいパンではなく、タギと呼ぶ、手で割るとぼろぼろ崩れる二十センチほどの丸いパンだが、香ばしくて、噛んでいると甘さがじんわり出てくる。窯で焼かず鉄板の上で焼く。これと同じで、五センチほどのものもある。二日もすると、このパンは干したアプリコットのように固くなるが、それをお茶に浸して柔らかくして食べる。この時、アバレは、ラジオで、唯一のラダック語放送のニュースを聞く。

お茶が終わると七時を少し回った頃だ。これから早朝の農作業が始まる。アバレと私たち親子は畑や果樹園に行き、アマレは牛の搾乳や台所の片付けをする。この早朝の作業は二時間くらい。この時間帯は、気温が高くなく、日射も激しくないので、気持ちよく作業ができる。それに二時間ほどなので、疲れ果てるほどでもない。それが終わると朝食だ。

朝食

朝食は家に戻って摂る。ミルクティーかチャカンテ(バター茶)と、小麦粉の薄焼きチャパティを三から四枚、バターやジャムを塗ったり、ジョーという生ヨーグルトに浸したりして食べる。ジョーは、ほんのり酸味がするのを一椀。私の好物と知って、アマレは二碗目を勧める。

ちなみに、ミルクティーは明らかに近年インドからラダックに入ってきた飲み物で、普通の紅茶に砂糖とバターを採った残りの牛乳を入れて沸騰させたものだ。それに対し、伝統的なチャカンテは、醗酵させた緑茶を使い、生バターと塩をグルグルという一メートルほどの細長い筒状の攪拌機に入れ、水鉄砲のように取っ手を押したり引いたりして、筒の中のお茶とバターを攪拌する。その時出るブクブクという音が、グルグルという名前の出所だという。チベットとの交易が絶たれ、中国産の緑茶が簡単に手に入らなくなった現在、緑茶は地元産だとアバレは言っていた。

午前の作業

一時間ほどで朝食を終え、午前の作業に出る。四頭の牛たちを川沿いの放牧地か谷の斜面の草地に連れていき、一日そこで草を食べさせる。牛達は通いなれた道を覚えていて、こちらの先導なしで、草場まで歩いて行く。こちらは、速度が遅くならないように、また後続勢がはぐれないようにして、追っていく。牛達の中で、メスの黒牛がリーダーで、残りの三頭は彼女に従って歩いて行く。途中にチョルテンやがメンドン(マニ塔)が何箇所かあり、そこは右繞、つまり、チョルテンに向かって左側通行をしなくてはいけない。牛達は、そこはお構いなしに歩いて行くので、反対側にいった牛を追うことが難しくなる。メンドンは長さが十メートルを超えるような長さのものも稀ではないので、アバレは小石などを投げて反対側の牛達を追い立てる。

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Figure 51:朝、牛を追って谷を下りる          

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Figure 52:牛を放す川沿いの草地

草場は川岸にあり、高さ一メートル五十くらいの高さの石垣で囲まれている。本流から取り込んだ支流が流れ、楊の木が茂り、その下は青草が茂っている。牛達が楊の木陰で草を食べ水が飲めるようになっている。まるで、絵に書いたような放牧地だ。ここでは、草に加えて、楊の枝を四~五本切り落として、その葉を食べさせたりする。

この草場の斜面側は、石垣の上に、草場より一段高く畑が作ってあり、はしごで登ると、ポプラの林の下にアルファルファが植わっている。草場との境の石垣の上は、棘だらけのシーバックソーンの枯れ枝を積み上げ、牛達が登れないようにしてある。ここでアルファルファを刈って、夕方、牛達を連れて帰る際に四十キロほどの束にして、背負い紐で背負って帰る。

帰り道は、朝と同じように、牛達はリーダーの黒雌牛の先導で、チャンダグ家まで戻る。アバレが先に回って、牛の囲いの扉を開いて待っていてくれる。これが閉まっていると、牛達は混乱して、特に茶色の雌牛はチャンスとばかりに勝手な方に行ってしまう。息子はそんな時うまく捕まえて連れ戻すが、私は二度も逃げられて、アバレに助けを求めることになった。

昼食と午後の作業

午後の一時から二時が昼食時だ。アマレがお昼ごはんとお茶(チャカンテが多い)をもって、私たちの作業しているところまでやって来る。お昼ごはんは、炊いたお米にマサラ味のマメ(レンティル)スープだったり、チャパティと野菜スープなど。一椀のスープにチャパティを浸して食べたり、一皿のお米の上にスープを掛けたりしたのをいただく。大麦粉(ツァンパ)を水で練った団子が付いている時もある。作業がきつい日は、アバレはチャン(大麦で作るどぶろく)を飲んだりする。一緒に作業する人たちがお相伴する時もある。お昼ごはんのあとは夕暮れまでまた作業だ。

作業が終わると牛たちを連れて帰る。途中野菜畑によって夕飯の材料の野菜を採り、用水路で洗って家に持って帰る。帰ると牛の搾乳をして、またお茶だ。このお茶の時はミルクティー以外ほとんどほかのものは食べない。

夕食

それから夕食準備にかかる。調理は居間・食堂・台所兼用の二十畳の部屋でする。木の床が調理台で、風呂敷ほどの大きさの布を引き、その上に俎板や小麦粉の練皿などをおいて、調理する。加熱は同じ部屋の壁際にあるプロパンガスコンロを使う。標高三千五百メートルだと沸点が摂氏六十五度に下がるため、加熱は圧力鍋で、長時間かけて行う。

チャンダグ家では、少人数の食事の場合、アバレが主に調理する。尤も、そのために献立は単調なマサラ味のものばかりになる。アバレの号令のもと、我々も手伝う。ミルクティーを入れたり、エンドウ豆を莢から取り出したり、炒めた野菜の味付けの助手は息子の仕事だ。私は、玉ねぎ、人参、トマトなどの野菜を切ったり、ヌードルの準備を手伝ったりする。米はインド政府の低価格補助のものだが、品質の悪さに閉口する。米の中の砂や雑穀やゴミが多く、取り除くのに手間がとてもかかる。野菜くずやエンドウ豆の莢や米から取り除いた雑穀などは、牛の餌にするためにポットに溜める。やがて、テレビが点けられ、ヒンドゥー語のニュース番組などを見ながら、夕食の準備をする。

ゲストが泊まる日は、献立もすこし種類や中身が濃くなり、今度は、アマレが号令をかけて、皆で準備をする。お米とマサラ味の野菜スープやレンティルスープ、小麦粉で作ったうどんのような細切りヌードルや、指で摘んで貝殻のような形にしたヌードルが入った野菜スープ(tukpa)だったり、野菜餃子のような小麦粉の皮で野菜の微塵切りを炒めたものを包んで、蒸し器で蒸したモモだったりする。羊肉は稀に出るが、量は少なく、一皿に肉の小片が二~三切れだ。魚はほとんど食べない。

夕食はどうしても八時過ぎになってしまう。ゲストが泊まる晩は、彼らも夕食を一緒に取る。アマレが床の上で皿に盛り分け、アバレから始まり、皆に順に皿を配る。皆に行き渡ると、アバレがマントラを唱え、我々も合掌する。それからは、片言のラダック語と英語で歓談をしながらの食事だ。難しいことは言えない。ゲストがいると、リキルの文化や生活に関する様々な質問が英語で我々親子に飛んできたりする。アバレが答えるべきだと思いながら、答えた。九時過ぎには夕ごはんも終わり、お休みなさい(ジュレーだけれども)を言って、各自部屋に戻る。裸電球の下で本を読んだりして、十時には就寝する。


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